駅弁と西南戦争に意外な繋がりが!?

    日本初の駅弁は、明治18年の宇都宮駅の「おにぎり弁当」でした。
    その後、地域ごとに駅弁は発展し、明治30年ごろにはすでに一般化してたそうです。

    なんと、その発展に、西南戦争がかかわっていました。

    近代化を急ぐ明治政府は、国有鉄道の建設をすすめていましたが、
    西南戦争が起こり、財政が悪化、国有鉄道を断念せざるを得ませんでした。
    代わって各地の鉄道会社が拡張し、そのために地域ごとに駅弁ができ、広まっていったのだそうです。

    駅弁が広まるにつれて、政府は駅弁関連の品々に、いろいろ規制をかけました。
    規制したがるのは、役人の性です。今も昔も変わりません。

    売り子のハッピ(制服ですね。)、「あまちゃん」で ”うに丼” を入れる木箱を肩からかけていましたが、あの箱の大きさも決められていたそうです。
    当然弁当の折箱の大きさ、ご飯の量などにも決められていました。
    おかずの中身は、国に申請しなければならなかったそうです。
    ただそれにより、どこに行っても同じ規格のものが食べられたので、駅弁の大衆化に役立ったようです。

    折箱といえば、今はウレタンみたいなものでできているのが多いと思いますが、
    当然、昔は木でできていました。
    木でできた折箱を経木の折箱と呼びますが、今でも浅草の木具師が作っています。
    1mmのエゾ松の板に、紙一重の深さにV字の溝を掘り、折り曲げ、貼り合わせなど、14の工程を経て出来上がります。
    まさに職人技です。

    昭和10年の鉄道省の記録によると、1年間に使われた折箱を積み重ねると、なんと富士山の335倍の高さになったそうです。
    (まさか縦に積み重ねだんじゃねぇだろうなぁ。)

    それにしても膨大な数ですから、駅弁人気、推して知るべし、です。
    関連記事
    スポンサーサイト

    コメント

    コメントの投稿

    非公開コメント

    プロフィール

    アル中ル

    Author:アル中ル
    金がない、財産がない、才能がない、若さがない、かっこよくない、根気がない… 
    酒を飲むしかないアラシニ(アラウンドシニア)。
    グルメと歴史に興味あり。
    バスト・ウエスト・ヒップ・体重オール100。
    メタボだとけしからんこと言うやつがいますが、決してメタボではありません。

    最新コメント

    ページの先頭へ戻る